9.ぎょうかいうらばなし


Windows95は世界的なブーム
1995年の11月23日に日本でもWindows95が発売された。 米国の販売店のように、午前0時から全国で200店が発売を開始したことも注目を集めた。 TVは米国の夏の発売開始の騒ぎを再放映し、秋葉原の販売店の前に人の列ができると、 それをまた中継した。
Windows95さえあれば何でもできると思い、パソコンを持っていないのに、勢いで買ってしまった人もいたそうだ。力で押すマイクロソフトらしく、販売店には製品が山積みされ、そのうちにコンビニエンス・ストアでも売り出された。目新しかったのは1回目だけ、いつ見ても山のようなWindows95には、ちょっと辟易したものだ。
この時期に、DOS/Vパソコンはにわかに元気づきWindows95パソコンに変身した。
マイクロソフト社はWindows95発売のために広告、イベントなどの販促企画を15億円をかけて展開し、11月23日から4日間、全国6都市9ヶ所で「Windows95スタートフェスタ」を開催した。イメージ曲はローリングストーンズの"Start me up"だ。秋葉原駅前のメイン会場には2万人が集まり混雑整理に機動隊まででる騒ぎだった。Windews95は23日からの4日間で20万本、11月末までに120万本売れ、同時に発売されたExcel、Wordなどが入ったOffice95も1カ月で50万本売れた。
Windows95は製品版で2万9800円、アップグレード版で1万6800円(FD)、 Office95は3万8000円だ。

Windows 98は1998年7月25日に発売され、1ヶ月で50万本を売り上げた。
パソコン販売低迷の中で、当初は3ヶ月で50万本を売り上げる予定だった。 マイクロソフト社によると、発売後二日間で25万本を販売し、その後も秋葉原などの 電気街で種待つ中心に順調に売れ続けた。
企業向けパソコン販売は不振だが、店頭向けは50%を超える勢いで伸びており、全体では 前年同月比で20%から30%アップになっている。NECや富士通は前年と比較して倍増のペース となっている。
だが、Windows98発売前の一ヶ月間は深刻な買い控えが起きており、第三四半期のパソコン 出荷台数が前年同期を上回るかどうかは微妙である。


パソコンの中身
1995年から日本のパソコン業界のパソコンの生産は大幅に海外シフトした。 メーカーはintelのCPU、台湾、韓国のメモリ、台湾のマザーボード、インドネシアのIC、 タイ、マレーシアのフロッピーディスクドライブ、CDドライブなどを手配、調達し、 組み付けてパソコンを完成させる。
1995年、富士通は95%が海外部品で匡体だけが国産品だった。 日本IBMの1996年のデスクトップはマニュアルとボール箱のみが国産品で部品の99%が 海外調達だ。ノート型はまだ国産の液晶を使っているが次第に海外の液晶が増えている。 液晶は先端技術を使った日本の製造業の稼ぎ頭になるはずだったが、韓国、台湾の液晶 製造技術が急速に向上している。日本のパソコンメーカーは、もはや組み立て業になった。 個人でも、CPUはPentiumの166MB、メモリはノーブランドの64MB、ハードディスクは シーゲートの1GB、東芝のCD-ROMドライブ、ミツミのFDドライブ、グラフィックボード、 サウンドボード、電源付きの匡体などを秋葉原で買い集め、自分の好みのパソコンを 組み立てることもできる。保証の点では多少難があるが、でき上がったパソコンの 性能はメーカー品と遜色ないどころか、上回るものさえでき、しかも安い。
一方東アジアの発展はめざましい。台湾では1996年には、マザーボードの74%、 キーボード61%、マウス65%、ディスプレイの53%の世界シェアを握っている。 付加価値の低い製品は台湾外にシフトされ、マウスの70%、キーボードの80%は 中国本土で作られている。それに代り、いままで日本メーカーが得意としてきた先端 分野に力が注がれ、ノートパソコンの出荷数は世界の32%まで成長している。(台湾側資料)
さらに官民一体の台湾工業技術研究院(ITRI)を中心に、TFT液晶、3Dグラフィックス・ チップなどの先端分野の開発が急速に進んでいる。1986年に電卓用モノクロ液晶技術 しかなかったが、94年には10.4インチのTFT液晶を開発できるまでに技術が向上して いる。
1997年明けから円安に向かい、1月末には1ドル120円前後になった。製造拠点、価格 など今後の展開に注目したい。1997年秋を過ぎた頃から東南アジアなど海外で生産 していた製品が国内に戻って来はじめた。1998年暮れから1998年1月には円は値下がりし、 1ドル130円から133円、株も1万5000円前後となる。 1999年にはほとんどのマザーボードは台湾製になる。CPUは米国製、メモリも台湾製、キーボードがマレーシアとなり、どの国で作られたかは問題でなくなった。9月に台湾に地震があり、台南から台北に向かう送電線が被害を受け、メモリ、液晶の生産が大幅に低下したことでメモリの高騰がはじまり一時は地震前の八倍という価格になった。メモリの価格は2000年1月にようやく落ち着いた。


ほれほれ作れ。作ったら売れ。
1995年富士通が急にがんばりだした。健さんと タッチおじさん(フジツのおじさん) を先頭に、作っては売り作っては売った。 火が着いたシェア拡大の安売り合戦にWindows 95騒ぎが追い風を吹かせ、 インターネットが油を注いだ。
たちまち他のメーカーも追随し、こぞって3、4カ月ごとに新機種を発売する体制になった。 アップルもMac貧乏といわれた高級機路線だけでなく低価格機Performaシリーズを展開する。 夏から師走にかけては価格競争が白熱化し、Window95の仕様ともあいまって、 DOS/V機は発売開始後2カ月で半額になった。 PCは師走にはCPUはPenrium 100MHz、メモリは16MB、ハードディスクは840MBと3カ月 前の倍近くの能力になった。 ボーナス商戦が一段落した12月半ばになると急激に値段は下がり、本体のみで5万円、 一体型で8万円で売られるパソコンまで現れた。
この間、Pentium CPUを供給していたインテルは2回ほどCPUの出荷価格を下げた。
日本だけでなく世界のパソコンメーカーも価格競争に突入していた。 AT互換機=DOS/V機のマザーボードは300万枚以上作らないと儲けが出ないといわれ、 マザーボードメーカーは全世界で4社ほどに減った。生き残ったのは帰国学人が活躍する 台湾のメーカーだ。パソコンの開発、生産方式は大きく変わり、世界のパソコンメーカー の大手数社以外は、基本構想だけを自社で考え、コンセプトが合ったマザーボード メーカーにボードを発注し、CD-ROMドライブ、ハードディスク、フロッピードライブを 部品メーカーから買い、メモリを手配して組立専門会社に組立をまかせてる形になった。 日本IBMの海外調達が50%を超え、富士通は設計以外は台湾で、NECも香港での生産をする。
この後、パソコンメーカーはさらに商社化した。
富士通のDISKPOWERの販売台数
1994.11..1995.03 --- 10万台
1995.04..1995.09 --- 24万台
1995.10..1996.03 --- 50万台
1996.04..1996.05 --- 15万台


安売り競争を止めて儲けたい
1996年春になるとパソコンは新機種に切り替わったが、在庫整理が順調で入学祝い商戦 では価格は安定し投げ売りは起きなかった。 95年度で富士通は75万台売ったが、利益は出なかったとあちこちで噂され、 決算予想がでるやパソコンメーカーそろっての大反省会となった。 sunによるアップル買収の噂も何回か出た。アップルは低価格競争をやめ、もとの 高級機路線に戻ったが、Windows95フィーバーと安売り競争時代の間にもシェアは 減らしてはいなかった。
夏のはじめにはモデム、大容量ハードディスク、高性能グラフィックス ・チップを組み込みメモリーを増やして価格を5万円ほど上げたパソコンが主流になった。
1996年の夏に起きた嵐はパソコンの増設部品、周辺機器だった。 4MBの半導体メモリが値崩れしたため日本メーカは16MBの生産に切り変えたが、 韓国、台湾メーカも主流を16MBに変え、メモリはだぶつき価格はたちまち下がった。 メモリは97年もだぶつくことが保証付の生産過剰体制になった。 パソコン用のメモリーも4月に50%の値下げ、8月にまた50%と値下げが進み 1996年暮れにはメモリの価格は1/5まで下がった。ユーザはメモリの増設がしやすくなったが 価格低下は韓国、台湾の経済成長を脅かすまでになった。
周辺の記憶装置も、読み取りスピードが上がったため旧タイプになったCD-ROMドライブ、 PDは半値以下に値下がりし、記憶容量の増大による世代交替でMD、HDも安くなった。


パソコンの買い時 1997年
ウインドウズ・パソコンは3カ月か4カ月サイクルで新機種が出る。 アップルは6カ月サイクルだ。
1996年年初にIBMの北城社長は「生鮮食料品と同じ」と言ったが、 パソコンは最初の2カ月で作って売って、次ぎの2カ月で在庫処分をするやり方になった。
発売後の初めの2カ月で儲けないとあとは初めの値段の半分になり、最後は叩き売り、客寄せ目玉商品になる。
作り始めに部品調達などトラブルがでて、予定通りの数が作れなかったりすると真っ青だ。 部品調達が1ヵ月遅れると生産のピークが販売価格が下がる在庫処分の時期にずれ、 そのころ出荷が増えても儲けはでず、赤字にならないだけでよしとするほかはない。
電子技術の進歩により最新のパソコンほど性能が高く価格は安くなる。 一世代前のパソコンは思い切って値段を下げないと売り残ってしまうが、サイクルの 最後でパソコンを買うと安く買える。もっとうまい人は新機種がでてから前の機種を 探して値切るが、メーカーが出庫終了すると入手が困難になる。新型も3カ月たてば 旧モデルになる。
        価格の推移
NEC Pentium(75MHz)のPC 定価 32万8000円
                        実売価格
        発売当初       27万0000円
        4カ月後         9万8000円

アップル  68LC40搭載のMac
                        実売価格
        発売当初       16万8000円
        6カ月後         7万9800円
近くの量販店のちらしを見ていると値動きがよくわかる。 作っているほうはたまらないが、これが1995,1996,1997年の状況だ。
つまり、いま一番良いパソコンは「安いパソコン」だ。
待てるなら欲しいスペックのパソコンが安くなるまで待って買えばいい。

急がない人に
一番安くなるのは年末のボーナス商戦後だ。 Macもこの時期が一番安くなる。Performaは年2回のモデルチェンジだが PowerMac、PowerBookは年1回11月にモデルチェンジが行なわれ、 ----97年は4月にもでたが---- 新製品が出荷され、旧製品は在庫処分となる。 前年発売の38万円のPowerBook5300csが22万円まで下がる。 95年には8万円のPerforma588が、96年には15万円のPowerbook190cs、97年には15万円 でCRT付きのタワー型のIBMのAptivaが現れたのもこの時期だ。クリスマスから年末、 年明けまでが買い時だ。年が明けてからは劇的に下がることは少なく、品薄になるため 待ちすぎると市場から消えてしまう。もちろん最新機種が欲しいという人にはお勧め できないが、3,4カ月で旧モデルになるのに最新機種にこだわる必要はないだろう。
2年後にもっと高性能のパソコンが欲しくなるとしても、そのときは今では 考えられないほどの性能のパソコンが安く売り出されることになるだろう。 安いパソコンでは使えるソフトウェアが少ないという心配は無用である。 インターネットやゲーム、表計算、ワープロソフト、データベースを動かすくらいなら 大した性能は必要ない。1995年の暮れあたりのパソコンのスペックで充分だ。
だが、インターネットをやりたい、ワープロで年賀状を作りたいなどパソコンで何を したいかをハッキリしておくことは大切だ。とくに初心者は、用途が漠然としている ため、何でもできる機種を揃えようとし一番高い機種を買う傾向がある。 この結果、各メーカーのフラッグシップの機種を、初心者と「時は金なり」で価格より スピードを優先するプロフェッショナルが支える構図ができあがる。初心者が買った パソコンの半分以上はほこりが積もるが、プロが買ったマシンは1年か2年の間に骨まで しゃぶり尽くされる。


お勧めのパソコン 1996年暮れ
まず最初に、パソコンを何に使うのかはっきりさせる。
1.年賀状を作る
2.ワープロに使う
3.表計算をする
4.パソコンを覚える
5.データベースを使う
6.インターネットをする
7.アプリケーションを覚える
8.グラフィック(絵、写真)を製作する
9.サウンド、曲を編集・製作する
10ビデオクリップを作る
11.CD-ROMを作る
年賀状、ワープロ、表計算程度ならワープロ専用機のほうが格段に使いやすい。 パソコンのワープロソフトができることは全部でき、表計算はおろか辞書、翻訳支援、 OCRでのテキスト取り込みまで付いている。 パソコンのワープロソフトが逆立ちしてもかなわない、とんでもないスピードで ビュンビュン動き、カラー液晶、プリンタ内蔵、スキャナまでついて15万円以下だ。 年賀状と同級会の通知くらいにしか使わないなら5万円のワープロ専用機でも充分だ。
パソコンのワープロソフトにもいろいろあり、大きい、重い、遅いで代表される一太郎、 ワードといったワープロを無理して使うことはない。ワープロソフトが遅いと早い ハードウェアが欲しくなり、ハードウェアが早くなるとワープロソフトは肥大化して、 大きく重くなる。
これらはハードメーカーの販売戦略と実によくマッチし、計画された陳腐化を具現する。 世の中には、軽くて早くて中級者程度がワープロでやりたいことはすべてでき、 ドローとペイント、表計算とデータベース、もちろんグラフも当然で、なおかつ通信 までできる、クラリスワークスというような便利なソフトウェアもある。 役立たずのアプリケーションは淘汰したいものだが、げに、「収穫逓増」は恐ろしい。

パソコンを覚えるのが目的ならパソコンは買わないほうがよい。覚えようというつもり ではパソコンは覚えられない。「年賀状を作る」など目的を持ったとき初めて覚えられ るものだ。
データベースを使うなら、パソコンの選択よりどんなデータベースを使うかが重要だ。 ベストセレクションは「桐」だが、よく分からないなら「クラリスワークス」のデータ ベースがてっとりばやい。データベースに入れた住所録をワープロに移して宛名書きを する程度は簡単にできる。本格的にデータベースを使いたい人は、ファイル設計はでき るだろうし、パソコンの選択にも一家言持っているだろうから、この文を参考にする 必要はない。
--- DOS用の桐Ver.5はWindowsでも動かすことができる。もちろんDOS/Vマシンでである。CPU 133MHzのマシンを使えば5000件程度のデータベースのソート、マージ、検索などは瞬時に終わる。一括という日本語のスプリクトを使えば定型の作業から込み入ったアプリケーションまで作成することができる。覚えるのも面倒な月次や年次のデータ処理には最適である。 ---
かつてのお勧めは、1995年の10月から12月に作られたパソコンだった。CPUの性能も ワープロ、表計算、データベースくらいならおつりがくる。おまけに故障が少ない。 1996年はパソコンの外れ年だった。故障、返品の話を聞かなかった月はない。 1997年には品質問題は持ち直し、まあまあ安心できるレベルになった。

インターネットをするなら、MacOSかWindws95が動くパソコンならCPUは68xx40か 486DXでも構わない。この程度のCPUスピードがあれば、ISDNを使ったダイアルアップIP接続の回線スピードの上限128kbps程度のデータの表示には困らない。もっとも大きくて遅いブラウザを使うとそっちの動作でCPUパワーが食われてしまうことがある。CPUにあったアプリケーションを使うことだ。
まさか2000年を越えて使っている人はまずいないと思うが、古いPC9801シリーズにはシリアルポートの通信速度が遅い機種があり注意が必要だ。最高速度が115,200bpsだと128kbpsで動かすのは足りないし、情けないことに14,400bpsや28,800bpsのスピードに追いつかないパソコンもある。

---- これは1997年の頃の話 -----
グラフィックやサウンドを趣味で扱うならPower PCであればCPUスピードで困ることは ないだろうし、Pentiumでもなんとかなるだろうがメモリが十分にないと作業がつらい。
CPUがDX4,68XX40でも大きな絵や動画を開発するのでなければ使用に耐える。 40万画素のデジタルカメラの画像ファイルは1枚で約1MB程度だが、Macならこの程度は メモリーが16MBでも扱えるし、PhotoShopのフィルタワークを行う時間は、長いものでも コーヒーを2口くらい飲んでいれば過ぎてしまう。 256色に減色した絵を使えばDirectorでコンパクトな動画を作ることもできる。 枚数は多くなるにしてもフロッピーディスクでバックアップも取れる。
だが、大きな絵を扱おうとすると、いきなり世界が変わり、システム全部をグレード アップしないと間に合わない。
例えばサイズが20cmx20cmで24bit color、画像解像度が400dpiの 絵なら10MBを超えるが、これを扱うにはMacなら最低でもメモリーは48MB欲しい。 Photoshopでこの絵を読み込むと、作業用にハードディスクの空き領域が100MB以上 必要となるだろう。これで作業をするとPhotoshopがスクラッチディスクを使うため ハードディスクがぎゅるぎゅる言いっぱなしになる。1枚の絵を作り終ってハード ディスクのメンテナンスをすると異常セクタが出ることも珍しくない。この手の処理 ではハードディスクは消耗品だ。
こうしてできあがった絵のバックアップも大変だ。10MBの絵はCompact proで圧縮して もフロッピーディスクで5枚以上になり、フロッピーでのバックアップは実用的でない。 Zip,Jazz,PD,MOなど大容量の記録媒体でバックアップを取ることが現実的だ。
さらに、ここまでやる人は17インチ以上のアパーチャーグリルのCRTが必要で、 当然 V-RAMも4MBは欲しい。
動画をやるならさらに大変だ。CD-ROMのコンテンツ作りなどオーサリングをするとき は、Directorで動作を確認しながらPhotoshopで元の絵を直す作業を繰り返すが、こ れをするにはメモリーは128MB以上は欲しい。できあがったコンテンツが30MBに なることは珍しくないのでバックアップするメディアもPD、MOなど大容量のものが 必要だ。 これに重ねる音作りも大仕事だ。オーディオCDのスペックの、16bit、44KHzで編集を するとサウンドデータは1分当り約10MBになる。10分を超えるクラシックの曲は100MB 以上だ。完成すればサンプリング周波数を下げたり、圧縮したりとファイルサイズを 小さくする方法もあるが、高品質なデータで編集しないとクォリティが下がるので、 100MBのセーブ、ロード、スワップが行なわれる。CPUスピード、主記憶の容量だけ でなくハードディスクの読み書きのスピードも重要なスペックだ。 音声付きのムービーではファイルはさらに大きくなり、QuickTimeの320x240の画像は 圧縮しても1分で約200MBのファイルになる。
コンテンツ作りの環境はWindowsよりMacintoshに一日の長があるが、Macであっても 大きなコンテンツを作るには時間がかかる。高速のディスクアレイが欲しくなるような 人は、シリコングラフィックス社のindigoを考えたほうがいい。趣味を超える領域では、 キチッとしたシステムが必要だ。
CPU速度、メモリ量、画像解像度、ハードディスク容量、バックアップシステムなどの 処理系の中で、一番性能の低いものが足を引っ張って、全体のレベルを下げてしまう。 「樽の原理」はここでも生きている。


スキャナーで読み込むファイルのサイズ 
         A4の絵を取り込む場合
   解像度   ファイルサイズ
   300dpi       23MB
   400dpi       46MB
   600dpi       93MB

---- 2000年の頃はこんな -----
グラフィックやサウンドを趣味で扱うならPower PC604であればCPUスピードで困ることは ないだろうし、Pentium IIIでもなんとかなるだろうがメモリが十分にないと作業がつらい。
CPUが603e,Pentium IIでも大きな絵や動画を開発するのでなければ使用に耐える。 210万画素のデジタルカメラの画像ファイルは1枚で約48MB程度だが、Macならこの程度は メモリーが128MBでも扱えるし、PhotoShopのフィルタワークを行う時間は、長いものでも コーヒーを2口くらい飲んでいれば過ぎてしまう。 256色に減色した絵を使えばDirectorでコンパクトな動画を作ることもできる。 バックアップはPD、MO、ZIPなどで取ればいい。
だが、大きな絵を扱おうとすると、いきなり世界が変わり、システム全部をグレード アップしないと間に合わない。
例えばサイズが20cmx20cmで24bit color、画像解像度が400dpiの 絵なら10MBを超えるが、これを扱うにはMacなら最低でもメモリーは128MB欲しい。 Photoshopでこの絵を読み込むと、作業用にハードディスクの空き領域が100MB以上 必要となるだろう。これで作業をするとPhotoshopがスクラッチディスクを使うため ハードディスクがぎゅるぎゅる言いっぱなしになる。1枚の絵を作り終ってハード ディスクのメンテナンスをすると異常セクタが出ることも珍しくない。この手の処理 ではハードディスクは消耗品だ。
こうしてできあがった絵のバックアップも大変だ。10MBの絵を日常的に使うにはZip,Jazz,PD,MOなどの利用は必須になる。
さらに、ここまでやるにはは22インチ以上のアパーチャーグリルのCRTが必要で、 当然 V-RAMも8MBは欲しい。
動画をやるならさらに大変だ。CD-ROMのコンテンツ作りなどオーサリングをするとき は、Directorで動作を確認しながらPhotoshopで元の絵を直す作業を繰り返すが、こ れをするにはメモリーは256MB以上は欲しい。できあがったコンテンツが100MBに なることは珍しくないのでバックアップするメディアもPD、MOなど大容量のものが 必要だ。 これに重ねる音作りも大仕事だ。オーディオCDのスペックの、16bit、44KHzで編集を するとサウンドデータは1分当り約10MBになる。10分を超えるクラシックの曲は100MB 以上だ。完成すればサンプリング周波数を下げたり、圧縮したりとファイルサイズを 小さくする方法もあるが、高品質なデータで編集しないとクォリティが下がるので、 100MBのセーブ、ロード、スワップが行なわれる。CPUスピード、主記憶の容量だけ でなくハードディスクの読み書きのスピードも重要なスペックだ。 音声付きのムービーではファイルはさらに大きくなり、QuickTimeの320x240の画像は 圧縮しても1分で約200MBのファイルになる。
コンテンツ作りの環境はWindowsよりMacintoshに一日の長があるが、Macであっても 大きなコンテンツを作るには時間がかかる。高速のディスクアレイが欲しくなるような 人は、G4マシンを数台、100BASE-T以上のネットワークで接続して作業する環境が欲しい。趣味を超える領域には高価なキチッとしたシステムが必要になる。
CPU速度、メモリ量、画像解像度、ハードディスク容量、バックアップシステム、ネットワークなどの 処理系の中で、一番性能の低いものが足を引っ張って、全体のレベルを下げてしまう。 「樽の原理」はここでも生きている。


お勧めのパソコン 1997,1998年
パソコンの市場拡大の速度が下がっている。 国内の販売予測を見直すたびに下方修正が行なわれ1997年度は前年の5%も伸びそうもない。
日本の業界は米国の動向を見て先行きを予想しているが、米国と日本では事情が違う。 米国では高校生の宿題の提出から個人で納税の申告を行なうことまで、道具として パソコンを使う場合が多い。パソコンを使わないと書類が作れないこともある。 パソコンが生まれる前からタイプライターを使って文章を書いていた歴史があり、 タイプメソッドが浸透していている。キーボードは珍しくない。日本ではほとんどの人 にとって、パソコンはあれば便利だがなくても困らない類の商品だ。弱ったことに あれば面倒で、ないほうがいいと思えるときもある。
米国で家庭向けの主流になっているのは日本でも1997年の夏に登場した 1000ドルパソコン(PC)だ。日本でも1998年の半ばには 製品が揃ってくる。円安で1000ドルは13万円になってしまったが1998年は1000ドル パソコンがお勧めだ。
ほとんどの1000ドルPCはPentium MMX 200MHz相当で、メモリは32MB、ハードディスクは 2GB以上あり、メーカーが普及機として位置づけている20万円台半ばの機種と遜色はない。
ハードディスクが2GBあれば、Windows95とWordや一太郎などのワープロ、EXCELやLotus1-2-3 などの表計算や、Netscape NavigatorとMicrosoft Internet Explolerなどのブラウザ と沢山のプラグイン、PhotoDeluxなどのレタッチ・ソフト、ユーティリティ、 プリンタやスキャナ、MDやPDなどの周辺装置のドライバ、さまざまなゲーム、さらに Visual BasicやC++、Javaの開発環境をインストールしても余裕だ。
メモリは32MBでも増設は簡単なので困らない。増設用の32MBのメモリは1万3000円程度だ。


お勧めのパソコン 1999年
99年のお薦めはなんといっても9万9800円パソコンだ。いや11万円のiMacでもいい。どちらも性能的には一般的なユーザーが使うのにはおつりが来る代物である。
9万9800円パソコンは12月上旬で前年比で台数で40〜50%、金額で30%以上の売上を記録している。富士通のように低価格パソコンが品切れになるメーカーも現われた。もちろん9万9800円パソコンにはWord、Excel、一太郎といったアプリケーションのバンドルはない。見てくれも機能が詰まっているだけので素っ気ないデザインで、iMACなどの格好いいパソコンとは天と地、月とスッポンの違いがある。しかしこれを買っていくのはインターネットができればいいと割り切っているユーザー達である。液晶などの省スペース型や高価なノートパソコンには目もくれず、ちらしや雑誌で情報を集め店では低価格パソコンを指名買いする。10万円パソコンの上位モデルが25万円を超え、価格差が非常に大きく感じられる価格設定も低価格パソコンの売れる理由の一つだろう。
暮れの秋葉原の売れ筋上位は iMac DV(148,000円)、SOTECのPC STATION M350V(143,000円)、iMac(118,000円)、iMac DV Special Edition(178,000円)、日本電気ValueStar U VU45L/15A(99,800円)、SOTECのPC STATION M250(15"CRT)(99,800円)、Aptiva 24J(2190-4J5)(99,800円)、富士通のDESKPOWER ME2/4053(125,000円)といった順番である。
現在10万円パソコンはデスクトップモデルの30%を占めているが、春には40%を超えると見られている。注目をしていた日本電気の simplem、松下電気産業の Will PCなどの格好いいパソコンは傑出した機能もなく雰囲気だけで28万円という価格がたたってあまり売れなかった。
ノートPCはiBook(198,000)、SONYのVAIO PCG-XR1G(270,000)、日本電気のLaVieNX LW43H/14DA (270,000円)、シャープのMebius PC-BJ100M(199,800円)、日本電気のLaVieNX LW40H/13D6 (250,000円)といった機種が上位を占める。PowerBook G3/333も健闘した。 コンパックはTFT12.1インチノートパソコンPX100を15万円で出し人気商品となった。 2000年明けの液晶は在庫過多で液晶ディスプレイの値下げが始まった。99年9月の地震で生産数が下がった台湾メーカの液晶生産が元に戻ってくるので春の新学期商戦はノートパソコンの価格低下が目玉になる。
中古パソコンも売れていた。98年暮れに8万円だったPentium 166MHz、2GBのタワー型モデルは99年暮れには3万円で売られていた。Linuxでサーバーやワークステーションを組むには十分すぎるスペックである。これにXwindowを入れて正月はゲームに興じるユーザーも多かった。 Macintosh 9600、PowerPC 300MHz、VRAM 8MB、HD 4GBのかってのPowerPC最後の最上位モデルが1ヶ月で5万円値下がりし12月には13万円になったが即完売。自分のニーズを見極めてうまい買い物をするユーザーが増えている。
1999年暮れの攻防は10万円パソコンだったが2000年暮れには5万円パソコンの攻防になると業界では囁かれている。

最近のパソコンは高くなったな 1996暮れ
1995年はじめから1996年春までは、主力のパソコンの価格帯は20万円前後だった。 1996年の春を過ぎると高性能チップを装備しメモリやハードディスクの容量を増やし、 周辺機器を組み込んで中心価格は25万円に移る。秋には30万円を超す機種が大半になった。 ノート型パソコンも、11インチ以上のTFTの液晶表示装置(LCD)を使ったものは40万円前後、 DSTNを使ったものは25万円から30万円となった。
11月に富士通は低価格戦略を打ち出し、新しいFMVの価格を下げシェア拡大を再開する。 これに対し10月に新製品を売り出した日本電気は、販売促進費を販売店に渡し対抗した。 この日本電気の対抗値下げに対し、富士通はさらに価格を下げ競合値下げが起きた。


どうして動かないんだ
CMでは簡単に動いているように見えるパソコンだが、利用者の激増と共にトラブルが 増えてきた。
WindowsマシンはCD-ROMから起動できないので、起動ディスケットで起動してCD-ROMの アプリケーションを使うことになる。もちろん起動ディスケットにCD-ROMのドライバー が入っていなければ、CD-ROMを読むこともできない。起動ディスケットはCD-ROMの ドライバーを入れておかなければ役にたたない。
初めにシステムインストールディスケットを作れと書いてある機種は、必ず システムインストールディスケットを作成する。これがないと再インストールどころか、 ハードディスクのパーティーションの変更もできない場合がある。ハードディスクを変更 するときに、システムを削除したらそれっきりで、手も足も出せなくなる。システム インストールディスケットは複数枚作っておきたい。起動ディスクも同様だ。
再セットアップをするときは、プロダクトID番号の入力が必要だ。プロダクトIDの 番号は付属のMicrosoft Windows95 のガイドの表紙のラベルに印刷されている。 これがないと再セットアップができないので、しっかりと保管しておきたい。 システムインストールディスケットやCD-ROMにプロダクトIDを書いておけば、いざと いうときに慌てることがない。
Macintoshにはこの種の問題はない。SCSIは初めから組み込まれているし、CD-ROMを 入れて"C"のキーを押していれば、CD-ROMから起動する。ハードディスクのフォーマッ トやメンテナンス、システムやアプリケーションのインストールもCD-ROMからの起動 で簡単にできる。
CD-Rで起動ディスクを作るのも簡単だ。CD-Rの書き込みプログラムで「起動ディスク を作る」をクリックするだけで、CD-ROMドライバを組み込んだ起動ディスクを作る ことができる。半年に一回、その時点のシステム、ユーティリティ、アプリケーション を入れたCD-Rの起動ディスクを作っておけばハードディスクがおかしくなっても 困ることはない。PDでも同じことができる。
95年の初めにはCD-ROMドライブが付いていないパソコンが売られていた。このパソコン を買ったら、何はさておき、最初にハードディスクの中身をフロッピーにバック アップするよう説明書に書いてあった。この頃のパソコンで初期不良が起きた記憶は ない。だがこのころの「さるのバザール機」 はモデルによりハードウェアが少しずつ 違い、その機種用のWindows(3.1)でないと再インストールもできなかった。中古を買う ときは注意が必要だ。1996年はパソコンの初期不良がとても多い、はずれ年だった。 1997年もパソコンの初期不良は減っていない。

フロッピーディスク(FD)でWindows95のシステムをバックアップする元気な人は少ない と思うが、Windows3.1のころは、大容量メディアが高価なため、システムのバックアップをFDで行なうのが普通だった。
DOSのBACKUPコマンドで23枚のFDにバックアップしてあるシステムを、RESTOREコマンド で元に戻そうとしたら、21枚目のFDが不良でレストアができなくなった。 しかたなく、DOSのシステムディスクを作り、ハードディスクを初期化しなおし、 Windows3.1をインストールした後、アプリケーションを次々と入れて動作環境を整備 し、データベースや文書、プログラムソース、ゲームをいれて、元の状態に戻すのに、 ほとんど徹夜で丸一日かかった。これに懲りてWindows本体とアプリケーション、 データは、それぞれ別にバックアップするようにした。アプリケーションなど市販 されているものは定義ファイルだけをバックアップし、データやゲームは集めて圧縮 し、FD1枚に入れてバックアップを行なった。もちろん、LHAなど使った圧縮プログラム は、そのFDに同梱しておいた。
FDへのバックアップをバッチファイルで作ったため、以後システムを大きく変更したり データを整理するときは、バッチファイルを少し変更するだけでバックアップを取る ことができた。保管しておいたMS Cのオリジナルディスクの6枚目が読めなくなった ときも、このバックアップシステムのお蔭でことなきを得た。


動かないぞ2
TVや雑誌の紹介や説明では、すべてソフトウェアがインストールされていることを 前提にして説明される。買ったばかりのパソコンは使いたいソフトウェアが 全部そろっているわけではなく、自分で買ったり探したりして組み込まなくてはならない。 初心者にはこのギャップが大きく感じられる。同じ機種なのに、まるで別のパソコンの 話を聞いているようだ。ある程度分かってきた人はエイリアスやショートカットを使って 自分のパソコンを使いやすいように変身させるので、これまた見たこともないような 画面のパソコンができあがる。しかも、じつは同じパソコンでもインストールのやり方 次第でソフトウェアの格納される場所が違ってしまうのだ。
身近にデジタル師匠というべき「わかっている人」がいればいいが、いなければ自分 一人でソフトウェアの追加や設定をしなければならない。
PL法対策で「あれはだめ、これもだめ。そんなことなどとんでもない」と制約事項 てんこ盛りのマニュアルを見てはケーブルをつなぎ、何とか電源は入ったがワープロが 動かない。それではと街のパソコン教室に行って、マウスの使い方、ワープロソフトの 使い方を教わって、「そうか。クリックすればいいんだ」と覚えてきたが、教室で 覚えた画面を出しても、自分のパソコンにはワープロソフトがなくて、最初のクリック ができない。
「会社で使っているのと同じパソコンください」と言ったときの店員の顔つきが憐びんの 表情だったことに気づき、後ろの棚の隅っこに立ったマニュアルがちらりと目にはいっ たとたん、「いったいなんて代物だぁ。もうー、大っ嫌いだぁ」と心の中で叫んだ方も 多いだろう。実は、これはパソコン修行者全員が経験する必須科目だ。
Windows95のマニュアルは薄くなったが、Windows3,1のころはOSとワープロとデータ ベースと表計算のマニュアルで本棚一段を占領された。
分厚いマニュアルに書かれたことはちんぷんかんぷんで、書いてあることが理解できる ようになったのは、操作が一応わかったころというマニュアルがほとんどだった。
だが、アプリケーションのマニュアルはまだましで、言語のマニュアルに到っては、 「どうだ。これがわかるか。わかるまい。お前にゃ10年早いんだよ」とすべての行間 にあぶりだしで書いてある。おまけに直訳というプロテクトまで掛けてあって、役に立 つのは、ほとんどの場合、使用例だけだった。英文マニュアルのほうがよっぽどわかり 易い場合がある。


初めてのパソコンとつきあう方法
副題:はじめてのアプリケーションとつきあう方法
若者と中年ではパソコンの触り方が違う。
若者はパソコンを手に入れると、まずスイッチを入れていじりはじめ、パソコンの反応 を覚え、経験値を増やしていく。中年はまず分厚いマニュアルを読み始め、クリックの やり方、画面の開き方、閉じ方と読み進み、マニュアルの十分の一も進まないうちに 意欲が萎んで頓挫する。
若者のやり方のように、充分な情報がなくても一応仮説をたてて実行し、試行錯誤を 繰り返しながら情報を集め、仮説を修正しながら、その過程で集まる情報で知識体系を 組み直し前進するいう方法は、最近の人工知能の研究でも推論コンピュータの開発に 応用されているそうだ。
パソコンは「習うより慣れよ」だ。パソコンを覚える一番の方法は、まず目標を決め、 つぎにうんうんうなりながらでもそれを完成させることだ。ワープロソフトなら 定番の年賀状を作ろう。まず、年賀状の全体のイメージを決め、マニュアルと首っぴき で文字を漢字変換し、フォントの大きさを決め配置を変えてみては、ワープロの反応を 覚える。文字が決まったら次ぎはイラストだ。ワープロに大概ついているイラスト集 からカットを抜き出し、レイアウトする。イラストが張れるころには、ワープロとの つき合い方はわかってくる。イラストが張れれば画像も同じ方法でレイアウトできる。
ここでマニュアルをざっと読み直すと、今までいじっていたことの意味がわかり、 情報が整理され知識体系の中にしまわれる。これが習得の最短距離だ。
この手のハイテク道具は、操作に対する反応が分かれば恐さはなくなる。恐さがなくな れば、かなり乱暴ないじりかたもできるようになり上達は早い。
同様に、表計算なら九九の表を作ったりローンの計算をしたり、データベースなら クラス会の名簿を作るなど、身近にあって、はっきりイメージできるものに取り組むと 覚え易く達成感もある。
これはコンピュータ言語を覚えるときも同じだ。C言語を覚えようと半年の間マニュアル を読み、参考書を読んでも覚えられないだろうが、あと3週間でプログラムを一本作ら ざるを得ない状況に自分を追込めば覚えるのは早い。
基本構想を考えたらマニュアルの目次を読み、 関係ありそうな本文の太字の部分を斜め 読みし、挿絵をざっと見て、どこに何が書いてあるか予備知識を仕入れる。あとは、 しゃにむにコーディングをはじめるしかないが、プログラムが完成する頃にはC言語に ついて一応分かるようになる。ここでマニュアルをもう一度読みなおせば、知識が 体系的に頭に入る。

パソコンを買ったら同時にその時期のパソコン雑誌を数冊買っておくと良い。 そのパソコンが売られている間は、そのパソコンについての情報が雑誌から得られるが、 3カ月もすると雑誌類はこぞって次ぎのパソコンの記事になる。
ソフトウェアも同じこと。旬のうちでないとメディアは取り上げてくれない。


ダウンサイジング
1990年頃の巷に溢れていた「ダウンサイジング」という言葉は5年後にはまるで聞かれない。
「ダウンサイジング」は1987年の「ブラックマンデー」の後、汎用機市場の大得意である 米国の金融期間の業績が悪化し、高価な汎用機からハードウェア・コストが低いワーク ステーションやパソコン、ネットワークに目が向いた結果始まった。 当時は、すべてのメインフレームは亡び、ワークステーション、パソコンのオープン システムがとって代る日が来たと大騒ぎされたものが、専門家の見方は違っていた。 パソコンは、購入時のハードウェアは安価でも、ソフトウェアの保全コストや、教育、 ライフサイクルの短いハードウェアの更新コストなどの、 総合費用(TCO:Total Cost of Ownership)ではコストが逆転するのだ。
米国のガートナーグループ(Gartner Group)の調査によるとパソコン1台当りの維持費は 年1万1900ドルだという。パソコンは利用者自身が支えないと機能しないシステムであり、 ハードウェアの維持費以外に、OSのバージョンアップやアプリケーションのインストール や保守の費用が発生する。さらに、操作について、分からないことは周りの「詳しい人」 に聞くことになるが、「詳しい人」はあちこちから呼ばれ、自分の仕事の時間が奪われる。 このコストは年間8000ドルを超えるといわれる。
標準の技術を使い、これをなくそうとしていうのがネットワークコンピュータ(NC)だ。 NCの年間の維持費は2500ドルですむと言われている。 だが、この業界ではホストコンピュータを核にした集中型システムのときも、複数ホスト を使う水平分散型システムのときも、パソコンのクライアント/サーバー・システムの ときも、いつも未来はバラ色と宣伝されていた。少々割り引いて考えたほうがよい。


NCでうちが主役だ
Sun MicrosystemsがJAVAを開発。Netscape社がこれに目を着けた。 1996年1月にORACLE社の会長ラリー・エリソンが、「メモリが10MBを超え、 補助記憶装置もGB単位のパーソナルコンピュータは、 もはや『デスクトップ・メインフレーム』だ」とこきおろし --- 上品に言うと指摘 ---、 Liteなコンピュータ、Network Computer(NC)の構想を打ち上げた。
NCはハードディスクのないPCをインターネットに接続して、アプリケーションをその 都度サーバーからダウンロードして動く。したがって、サーバーが持っている最新の 環境でアプリケーションを使うことができ、保守は不要という構想だ。 NCは昔のホストコンピュータとダム端末の関係と似ているが、端末はインテリジェント になっている。基本的には分散コンピューティングでクライアント/サーバーシステムの 延長と考えてよい。接続はスターモデル(1極集中型)だ。
1996年5月20日、Sun,ORACLE,IBM,Netscape,AppleはNC連合(Network Computer Refarence profile initiative)を作る。即日、金融のVISA、マスターカード、通信関係のNTT、 ブリティッシュテレコム、フランステレコム、コンピュータベンダーのNEC、富士通、 松下、日立、東芝、三菱、PCには関係の薄い赤井電機、船井電機、ユニデン、電子商 取引関係の野村総研、NTTデータ通信、独立系ソフトハウスのジャストシステム、PC販売 最大手の大塚商会、韓国の三星、金星、現代グループ、携帯電話最大手のモトローラ などが参加し、支持表明を行なった。電話会社、クレジット会社まで参加したNC連合が 提唱するNCは、年々装備が重くなりユーザーに記憶力を要求とする今のPCから、シンプル で軽いPCに移行しようとするもので、これまでのPCの世界を根底から変え、米国だけでも 3000万台といわれる巨大市場を誕生させることが予想されるという。
NCの一つの側面にユーザーのコンピュータの維持費用の低減がある。
NCの基本アプリケーションはwwwブラウザ、e-mail、ワープロ、表計算、プレゼン テーション・パッケージ、マルチメディアプレーヤーだ。アプリケーションの使い方を 覚える必要はあるが、OSの知識は不要だ。 PCの総合費用(TCO:Total Cost of Ownership)が年間1万1000ドルを超える(1997年調べ) のに対し、Server側でシステム、アプリケーションの管理が行なわれるので、NC側では 管理コストはかからないと言われている。
NCの構想に対して、マイクロソフト陣営は「NetPC」構想で対抗した。これは、PCを インターネットにつなげ、サーバーにあるアプリケーションのバージョンがハード ディスクより上のときにだけアプリケーションをダウンロードをするというものだ。 ZAK(Zero Administration Kit)と呼ばれるソフトウェアで運用コストを低減する。
NCは単なる次世代のコンピュータ構想でなく我々の生活に直接に関わる部分も大きい。 電子商取引、電子決済の利用のための統一仕様もその一つだ。NCで利用するカードは、 ISO-7816スマートカードとE/M/V(Europay/Master/Visa)仕様のカードだ。E/M/VはVISAと MASTERの統一仕様であり利用は世界のカード市場の90%を超える。E/M/Vはアトランタ・ オリンピックでも利用され、ニューヨークでのシティバンクとチェースマンハッタン 銀行の実験も始まる。最有力のデジタル・ウォレットだ。カード市場の defacto standard になるだろう。
NC Reference Profile
アーキテクチャ(基本設計)的に中立
PCよりもかなり低いトータル所有コスト
典型的なPCより低い初期コスト
使用、管理が著しく簡単
機密保持機能を持つことができる
ハードウェア
画面解像度 640x480(VGA)と以上
マウスまたはトラックボール
文字入力機能
音声出力機能
ローカルの保管容量を必要としない
インターネット・プロトコル
IPベースのインターネットに接続可能
IPベースのプロトコル
TCP Transmission Control Protocol
FTP File Transfer Protocol
Telnet telnet
NFS Network File System
UDP User Datagram Protocol
SNMP Simple Network Managemant Protocol
ブート および 構成オプション
WWW標準
HTML Hyper Text Markup Language(with CGI)
HTTP Hyper Text Transfer Protocol
Java Application 環境
Java 仮想マシンと稼働環境
Java クラス・ライブラリ
電子メール・プロトコル
SMTP simple Mail Transfer Protocol
IMAP4 Internet Message Access Protocol Version 4
POP3 Post Office Protocol Version 3
マルチメディア・データ形式
JPEG GIF WAV AU
オプションの機密保護標準
ISO 7816(スマートカード)
E/M/V

出典 IBM東日本だより 96 12月号 Vol.5


いよいよ混戦 NC
集中型から分散型、ダウンサイジング、イントラネットと進んできた企業内情報 システムは、NCのシステム運用コストの削減効果に飛びつく。
だが、先行するNC、NetPCの弱点が見えはじめ、1997年の7月には、 IBMの「OS/2 Blue Bird」、マイクロソフトの「Windows Terminal」が加わった。 OS/2 Blue Birdは、クライアント機の電源を入れると、サーバーからOS/2をダウンロード される。ワープロなど、OS/2以外のアプリケーションはサーバー上で動作させ、端末を 通して自分の使いたいアプリケーションを使う。 出荷は米国で1997年秋から、日本では1998年前半を予定している。
Windows TerminalはWindows版のNCといっていい。Windows CEをROMで持つクライアント 機にはハードディスクは搭載せず、アプリケーションはダウンロードしない。 アプリケーションはWindows NTで動かすが、クライアント側から見ると自分のNCで アプリケーションを動かしているようにみえるというものだ。

 PCに端末をつけるというコンセプトで2つのシステムが現れた理由は、NC、NetPCに 当初期待された運用コスト削減の効果が、不十分という見方が出ているためだ。
NetPCはPCをベースにしているため初期費用はPCと同じだ。アプリケーションの管理 コストはゼロでも、OSの保守、更新などの管理コストがかかる。ユーザーがWindowsに対して、 細かいカスタマイズを行なう結果のコストも残り、運用コストはNCに比べて不利だ。
NCはコンセプトがPCとかけ離れているため、個人が気ままに扱えるPCに比べ業務一点張り の感があり、PCユーザーからの反発が予想される。また、漢字変換などをサーバーで 行なう結果、処理スピードが遅くなる問題もある。
しかしOS/2 Blue Bird、Windows Terminalが、この問題の根本的な部分を解決する とは思えない。長くPCに親しんでいるユーザーや、技術志向のユーザーは、PCを操作し 自分なりの環境を作ることが好きな連中が多い。NCと同様に両者ともカスタマイズは 制約され、この楽しみは奪われる。 ワープロと表計算ができ、データベースをブラウザ経由で操作できる端末なら、 コストを下げた専用機で十分だ。これはワープロ専用機という形で提供されている。 ハードディスクがなくてもフラッシュメモリにアプリケーションを残すことも可能に なるだろう。
CPUのスピードもワープロや表計算などには十分なものになった。 メモリと、システムのパフォーマンスを際限なく要求する、餓鬼のような アプリケーションが今後も増え続ければより早いCPUパワーが必要になるが、 画像処理以外ではCPUは、この危機を乗り越えたようにも見える。
低下するパソコンの価格が、これらの運用コスト削減マシンにどう影響を与えるか 興味深い。

1998.09月にIBM社は、AS/400のローアーレンジ、モデル170を発表した。
それまでの600型より大幅にコストダウンされたモデルはバッチ系のパフォーマンス を重視している。
IBM社では2000年にダム端末を発表すると言う話があり、AS/400をサーバーとした、 NCシステムが完成するという見方もある。


ThinClient(シンクライアント)登場 2004
NCコンピュータはシンクライアントとして復活した。
シンクライアントは、パソコンからハードディスク・モータ・ファンなど回転部分(磨耗故障する部品)をとった、表示や入力など最低限の機能を持った専用のコンピュータで当然低価格である。ゲームマシンにキーボードをつけたようなものを想像すればいい。駆動部分がないため静粛性が優れ、消費電力もわずかなので地球に優しいエコマシンというコピーも使える。サーバで一元管理されたアプリケーションソフトをダウンロードして利用でき、運用・管理コストを削減できる。
同じような形態のメインフレームとは多少格好が変わり、名前がサーバーベースコンピューティング(Server-Based Computing)となるが、端末(ターミナル)がクライアントと呼ばれると何が変わるか。メインフレームの端末はCPUのないダム端末が多かったが、次第にPCに置き換わり、それがまたインテリジェント端末に戻る格好である。中央集中型システムを知っている人間が少なくなったので新しい手法に見えるところがいい。今度こそ業界の飯の種になりそうである。
問題になってきている情報漏えい対策もばっちりなうえ、クライアントサーバーシステムのTCO(運用・管理コスト)が大きくなり台数が多くなればなるほど費用の増大が問題化していることを背景に、サーバーベースコンピューティングでコストダウンを図ろうという動きはコストの問題も解決できるように見える。
ところがどっこい、この業界そんなに甘いことはやらない。逆に甘い汁を絞り出すのが常である。端末は安価になってもサーバー側のソフトウェアは新規導入、ハードウェアも「今までのサーバーでは能力がちょっと」という得意のトークで置き換わりシステムを再構築に持ち込めば大きな市場となるのだ。


1000ドルパソコンだい
1997年夏、米国では1000ドルパソコンが登場した。 パソコンはこれまで、価格は同じにして、より高性能にした製品を次々と販売してきたが、 高性能化が進んだ結果、ローエンドの製品でも一般のユーザーが必要とする性能を持つに 到った。
とくに高速な処理速度を必要としない、普通のアプリケーションだけを使っている ユーザーには、次々売り出される高性能マシンは必要なく、企業でもワープロや表計算 などのビジネス用のアプリケーションを使うだけなら、Pentium 133MHz程度で 充分処理が行なえることから1000ドルパソコンが誕生した。
Intelは次々と高性能MPUの開発を続けているが、互換CPUメーカーは、CPU、 グラフィックス、メモリー/PCIバス機能周辺チップを組み込みこんだ Cyrix社の「MediaGx」のように、 100ドル程度の低コストPC用のMPUを供給、 Cyrix社はさらに、1997年中に1500ドルパソコン向けのMMX機能を搭載した200MHz版 MediaGx「GXm」を供給する計画だ。Cyrix社は合併を行なう National Semiconductor社 は「システム・オン・チップ」戦略として、500ドルパソコン用のCPUの開発を始めた。

米国では1996年の売れ筋デスクトップPCの価格は、1500ドルから2000ドルで、 中心価格は1800ドル程度だった。1000ドルPCの出現により1997年前半の売れ筋は 1000ドルから1500ドルに下がった。1000ドル以下のサブ1000ドル市場も生まれている。


Maker Product Price CPU RAM 2nd Cache Hard Disk CD-ROM Drv.
AST Adventure 200 $997 AMD K5-PR133 8 256 1.0GB x8
AST Adventure 200e $1199 Intel Pentium 133MHz 16 256 1.0GB x8
Compaq Presario 2100 $1298 Cyrix MediaGX 133MHz 24 --- 2.0GB x8
Everex Explora 995 $1215 AMD K5-PR133 16 256 1.2GB x8
Packerdbell Multimedia C115A $999 Intel Pentium 120MHz 16 --- 1.2GB x8
Vectron Corporate Station P-133 $995 Intel Pentium 133MHz 16 256 2.0GB x4
すべて、ディスプレイ(14 or 15 inch)、FDD付き。Corporate Station P-133以外は、 サウンドカードと33.6bpsのFAXモデムが付いている。Corporate Station P-133は、 ネットワークアダプターが標準装備。


日本でも、10万円パソコンが現れた。といってもまだ10万円台後半だ。米国では 「最も安いPCは最も早く時代遅れになる」として静観の構えのゲートウェイ2000も 日本では低価格パソコンを出している。
Maker Product Price CPU RAM Hard Disk CD-ROM Drv.
日本ゲートウェイ2000 G5-166 \169,800 Intel Pentium 133MHz 16 1.2GB x16
コンパック DESKPRO 2000 5133/1200 \168,000 Intel Pentium 133MHz 16 1.2GB --
日本FIC FIC BASIC COMPUTER 500 \108,000 AMD K5-PR75 16 1.0GB -
亜土電子工業 CCGX133 \99,800 Cyrix MediaGX 133MHz 16 1.0GB x6
高木産業 PIM-GX133 \99,800 Cyrix MediaGX 133MHz 16 1.3GB x16
プロサイド JN5100DSA \80,000 Intel Pentium 100MHz 16 1.2GB x4
G5-166とFIC BA

大手メーカーは10万円パソコンを出す動きはないが、台湾や国内中小メーカーは10万円 パソコン市場に乗り出てきた。
VTRやビデオカメラなど消費財は10万円を割ると普及にはずみがつく。500ドルパソコン の構想もではじめており、パソコン市場はいままでの殻を破る動きを見せている。
10万円パソコンの台頭は、市場規模、CPU能力、メモリ、磁気ディスク容量、 ソフトウェア・サイズなど、すべての面で膨張を続けてきたWintel主導のパソコン業界 の方向が大きく変えることになる。 いままでパソコンは高性能、高機能でユーザーをひきつけてきたが、ユーザーは一家に 一台汎用機を置く必要がないことに気づき、メーカー主導の高性能戦略に背を向け はじめた。軽自動車で充分な人、セダンがいい人、トラックが欲しい人、ランナバウト を使う人がいて車業界がその要求に応えているように、パソコン業界もユーザーのニーズ に応じることにより形態が変わっていくだろう。今後はローエンドのパソコンの割合が 増え、ハイエンド、ミドルレンジのパソコンの需要は割合が減るだろうが、市場は パーソナル機器としての飽和点まで拡大をつづける。
これからはパソコンもTVやVTRなどの家電製品とおなじ進化の道ををたどることになるだろう。

9月コンパックがPresario 2210の発売を発表。MPUはCyrix社のMediaGx(180MHz)、メモリ16MB、 ハードディスク1.6GB、モデム33.6bps、CD-ROMは8倍速、モニターは14インチ、 添付ソフトはMSワークスなど低価格品がついて13万円台の価格。 米国で6月に発売したPresario 2100(CPU MediaGx 180MHz)の日本向け機種。1997.09.09

日経パソコン 1997.07.14 日経新聞 1997.07.30他

1998.01.07にコンパックは、Presario 2240を799ドルで発売した。 CPUはAMD K6MMX(200MHz)、モデム付きで50時間のインターネット無料サービス付き。 モニタつきのモデルは999ドル。HPもCPUがintel MMX Pentium(200MHz)のモデルを799で 投入した。1998年の年末商戦では1000ドルパソコンが家庭向けパソコンの40%を占めた ことから今後もこの市場を狙うメーカーが増えるだろう。

日経新聞 1998.01.08

米国では最大のパソコン量販店コンプUSAの大型量販店の1998年1-3月期のパソコン売上が前年 比で6%下がり90年代最悪の売上になった。小型店を含めた同期の総売上高は14億5千万ドルで 前年同期比14%増。販売数は増加したが、1000ドルを切る低価格機種が30%近くになった結果、 で平均売価が20%近く下がったことが響いた。Windows98発売による買い控えもあり、4-6月 期はさらに売上が悪化し「ゼロ成長」になる予測している。

日経新聞 1998.04.04 米国では家庭用の主流は1000ドルパソコンになってきた。

というのが1997年の夏。
1997年秋口からはサブ1000ドルPCが登場する。1998年に入るとさらに900ドルPC、 800ドルPCが登場し、企業ユーザーはこれらを使い始める。コンシューマー向けには 700ドル、600ドルPCが現われた。価格の面からインテルでなく、AMDやナショナルセ ミコンダクタ(サイリックスを買収した)などのCPUが搭載され、インテル・アウトサイド 機が増える。その結果、急成長を続けていたインテルの売上高は1998年の第1四半期で 前年比7%減の60億100万ドルに下がった。

米国の1000ドルパソコンのシェアは50%を超えている。日本でも1998年夏には、CPU がAMD K6-2の266MHzに4GBのハードディスク、メモリ32MB、32倍速CDーROM ドライブを持ち、56kbpsのモデムとCRTがついて15万円台のパソコンをIBMなど メジャーのメーカーが売り出した。これは1997年夏のデスクトップ・ハイエンドマシン のスペックである。もっとも徹底したコストダウンを進めた影響か初期故障が多発した。
米国ではさらに700ドルPC、500ドルPCと価格帯が下がっている。この結果、企業 ユーザーはハイエンド機を買うことをやめ、1000ドルPCを買う方向に切り替えた。
アメリカの企業のユーザーのPCの購入予算は平均で3年間で3000ドルといわれている。 だが、3000ドルを払ったハイエンドの高速PCのスペックは、一年後にはローエンド機 のスペックになり、2年後にはそのスペックのPCは市場から姿を消してしまう。 3000ドルPCは2年間しか有効な稼働期間がないといえる。それよりも、毎年900 ドルのPCを買えば、3年間のハードウェアの総コストは2700ドルで収まる。700ドルPC なら2100ドルですむのである。このことに気付いた米国の企業は、高価なハイエンド機 の購入をやめ、エンドユーザーの要求を満たす最低の性能を持ち、その時点で一番価格の 安いPCを購入することに切り替えた。
ほとんどの企業ユーザーが利用するアプリケーションはワープロ、表計算、電子メール、 Webブラウザというところで、これ以外にはデータベースが増える程度である。1998年 のローエンドのマシンでも、これらのアプリケーションをストレスなく動かすには充分す ぎる。一方、レンダリングやシェーディングなどのグラフィックス処理、ムービーや音声、 印刷用の画像など編集の処理にはハイエンドマシンでも処理速度や記憶容量が不足する。 今後は出荷台数の多いロープライスのローエンド機と、クリエーター向けの特化した 高性能マシンへの二極化が予想される。
さらに、1998年終わりには、企業向けは500〜600ドル、コンシューマ向けは300〜 400ドルになることが予想されている。 ナショナルセミコンダクタは500ドルPC向けに、サイリックスMediaGをベースにした システムLSI「PC on a chip」の開発を発表した。CPUは周辺のチップセットを一つの チップに集積し、このチップのみでWindowsパソコンを実現させる方向だ。ワンチップ 化はローコストというだけでなく、従来のCPUと周辺LSIの間で行うデータ転送がLSI 内部で行われるためデータ転送速度が高速化れる。さらには総合的な電力消費量を下げ ることもできる。
パソコン本体の価格が下がるとバランス上、OSやアプリケーションの価格も下げざるを 得ないという見方もあり、PCの出荷台数は増えてもそれ以上に価格の低下が売上金額を 下げ、マイクロソフトも含めたPC業界全体の売上高が低下をするという分析がある。

Computer Report 1998.08 他



Notesはすごいがすごさが見えない
グループウェアのメニューは、「電子メール」、「電子会議室」、「電子掲示板」、 「議事録」、「スケジュール管理」、「報告書」、「アンケート」、 「トップからのメッセージ」、「フリートーク」などがある。
これだけを見ると、インターネットやパソコン通信と同程度のものと思われても当然だ。 グループウェアの機能はコミュニケーション、情報管理、スケジュール 管理、ワークフロー管理などで、個別機能に特に目新しいもはない。
「グループウェア」の導入により今までの仕事のやり方が変わり、社内文化そのものが 変わるということもない。グループウェアは、業務処理の見直し、組織改革、意識改革、 生産性向上などを進めるためのサポートシステムだ。
したがって、目的のために変革するエネルギーを注ぎ込まないと導入は成功しない。 まずはトップ自身が、何の目的のために「グループウェア」を導入し、どう活用するのか 理解し、徹底的に社員に伝え、利用させるためのリーダーシップを発揮しないと効果が 出ない。「使ってみよう」で導入して成功した事例は聞いたことがない。
「グループウェア」の導入に不可決のものはトップの「意気込み」だ。

グループウェアを使って現れた効果

書類が消えた
紙で書かない。
使う人と使わない人で情報に差が出た
プロジェクトの原理のとおり、やはり15%は使わない。7%は落ちこぼれる。
伝達が早くなった
光の早さ。
会議の時間が短くなった
事前に資料を見たり電子メールで確認する。
会社のまとまりがよくなった
他部署の議事録や日程表を見て状況を掴み、連携が生まれた。
他部署の業務、活動状況を知り、理解が生まれた。
社員旅行などのアンケートの反応が早くなった
誰さんが書いたら私も書くなどのお見合い状態がなくなった。
電話、問い合わせが減り時間のロスが減った
Q & A、FAQを読み自分で問題を解決する。
トップは朝礼で重要なことを喋らないようにし、掲示板に自ら投稿するようにした
下は利用せざるを得なくなった。

ok 1996.04..1996.09
ノーツに慣れてくるにつれ、大量の個人ファイルまでサーバーに保管しようとしたり、 サイズの大きな添付ファイル(Image file)をつけたメールを大勢の人に送ろうとする。 規制も利用に水を差すことになり効果的な対策が打ちにくい。結局、無秩序な使い方を しないようにしつけが重要である。機能があればユーザーは使うので、10MB以上の添付 ファイルは遅れないようにするなど、システム側で制約を設けるしくみも必要だ。

cf.大倉商事(株) 情報システム室の話 ibm.comm 9706 software


海外シフトからリターン
1997年、いままで海外シフトを進めていたメーカのUターンの動きが始まる

九州松下  FAXをマレーシアから引き上げ   人件費10倍
          開発要員が生産立ち上げで張り付き1カ月..................開発ストップ
          品質低下し問題あるごとに開発要員がマレーシアに飛ぶ......開発ストップ
          3カ月ごとに新製品を販売、開発が進まぬと次期モデルが発売できない
          製造工程からの改善提案がなくなった.............コストダウンが進まない

日本電気  どこでも買えるパーツを使ってパソコンを組み立てる...アッセンブリメーカーになった
            PC-98の国内の部品はCDドライブとと基板一枚だけ  生産は中国
            特徴が出せない、コストだけの競争になる
          米沢、群馬、新潟と本社。製造工場に開発権限を持たせる
            組織変え、プロジェクトリーダーの発足
            開発短納期化、立ち上げ期間短縮、不具合即対応
          インテルの20年の成長で完全に追い越された半導体市場に食い込む
            グラフィックチップの開発、PCに組み込み

東京電波  従来の1/5のサイズ水晶発信子を開発し国内で生産する
          20年前から韓国で生産
          「どこでもできるものでは儲からない」
          海外は全面撤退し国内生産に切り替え。設備投資60億円以上

その他、ワールド、アイワなども海外からのUターン組。

NHKクローズアップ現代1997.03.11 21:30...22:00


パソコン事業は無用
「パソコン事業は情報産業のリーダーを目指す上で必要ではない」 米国コンピュータの大手NCRの会長兼最高経営責任者(CEO)のラーズ・ナイバークが 3月11日の会見で96年の営業損益が黒字転換した要因の一つにパソコンからの撤退を 挙げた。
96年決算はパソコン撤退により減収となったが営業利益が黒字になった。 現在の利益源は、大記憶容量の超並列サーバを各にしたデータウェアハウス (データ倉庫)関連のシステム事業。「金融、小売、情報業界向けを中心にシステム 関連の注文が増えており2-3年後からは年率9-12%の売上高増を見込める」と自信を 示した。
IBMも「ネットワーク・コンピューティング」事業を重視し、ソフト・サービス事業の 売上高比率が60%に達した。米国各社の関心はすでに「ポスト・パソコン」に移ってい る。
日本ではパソコンが情報産業の顔になっているが、実際は各社のパソコン事業はほとんど が赤字だ。

日経新聞 1997.03.12


データウェアハウス
データウェアハウスは、これまで基幹システムで長年蓄積されてきたデータを、素早い 分析や意志決定に利用するために、エンドユーザの使い勝手を考えた情報の倉庫で、 データを倉庫に入れる、データのある場所を探す、データを倉庫から配送するシステムだ。 基幹システムのデータを収集、分類、検索するほかデータマイニング(鉱脈掘り)も行なう。
データマイニングツールは膨大なデータの中にあるパターンを自動的に抽出し 戦略的意志決定(SIS)のための資料を作る。
例えば、銀行が持っているデータから、ローン返済が滞っている人の特徴をだす。
ローン返済が滞っている人の普通預金高、定期預金高、取引年数、平均使用数、年齢 などのパラメータを分析する。この結果得られたパターンで、一般客のリストを抽出 すれば予防を行なうことができる。
また、顧客データから顧客を年齢、性別、家族構成などを捉え、属性ごとの特徴を 持たせたダイレクトメールを顧客に出せば、全員におなじダイレクトメールを出すより も、よい効果が得られる。
データウェアハウスにイントラネットを接続し、ブラウザでデータを抽出するシステムも できている。

参考:IBM東日本たより 1997.01 Vol.6


インターネットとビジネス
通信回線に接続されたパソコンがあれば、誰もが同じ条件でインターネットに参加 できる。大企業だけでなく、中小企業、学生ベンチャーや個人までがWWWを作り、情報 を発信している。インターネット世界では個人であってもビッグネームになりうる。
インターネットの世界には、ニュービジネスの種と宝が埋まっている。特筆すべきこと は、急速な量の増大だ。情報発信者と情報利用者の数が飛躍的に増大し、2010年には 50兆円の市場になると予想される。

既存ビジネスのインターネット化には4つのカテゴリーがある。

1.物販
電子カタログを使って電子的に受注し、クレジットカードや電子マネー、あるいは 代金引き換えで決済を行ない、宅配などの配送ネットワークを使って商品配達するもの。
2.情報販売
パソコンソフトや音楽CD、CD-ROMなど、現在は物(メディア)に治めて販売しているが、 将来的にはインターネットを経由してコンピュータデータを配布することにより、 配達というプロセスを省略することができるもの。
3.エージェント・サービス
プレイガイド、旅行代理店、不動産物件仲介業などのインターネット化
4.テレ・サービス
インターネットを利用した遠隔サービス

参考:三菱総合研究所(MRI)調べ NTT1997.6月


PC98は世界標準
長い間国民機PC-9801を作ってきた日本電気が1997年9月24日路線を変更を発表した。 新しいPC98-NXシリーズはウインテルの「PC97/PC98」に準拠し、Windows98に合わせた 仕様になっている。「PC97/PC98」はインテル、マイクロソフトが推奨する 「PC97ハードウェアデザインガイド」、「PC98システムデザインガイド」からなる Windows機に関する仕様だ。NECでは NXはデスクトップはPCI BUS、ノート型がCard BUSを 採用し、32ビット化したことと、9801のC BUSがない、AT互換機のATスロット(16bitのISA BUSのスロット)がない、DOS/Vが動かないことからPC9801でもPC/AT互換機(DOS/V機)でも ないとし、金子尚志社長は「PC98-NXシリーズはPC98シリーズともPC/AT互換機とも異る 新仕様のパソコン」と発表した。
しかし、メモリーマップ、割り込みテーブル、ポートアドレスやコネクタがAT互換機と 同じで、ATスロットこそないがISA BUSの信号線があり、ドライバーソフトやAT互換機用 のSCSIバードが動くことから、業界ではNXはPC/AT互換機と評価されている。 また、NECでは「企業向けシステム販売への対応機種」と説明しているが、Mate NXには ISAスロット付きのモデルや、MS-DOSv6.2とWindows3.1を組み込んだモデルもある。
NXは「PC98」仕様としたことからATスロットがないためDOS/V用のATカード(ISAカード)は 使えず、C BUSがないためPC9801のボード類も使えない。音源などはAT互換機用のチップ をISAの信号線を使ってマザーボードに実装、内蔵モデムはPCIスロット用のものを新た に開発するなどして対応している。NXのデスクトップ型のBIOSは米国フェニックス・ テクノロジー社のもの、ノート型のBIOSは同じく米国のアメリカン・メガトレンド社製だ。
Widows98は1998年夏に発売される予定だが、9月の段階では「PC97/PC98」の最終仕様の 確定は終えていない。他メーカーの年末商戦に投入するモデルから「PC97/PC98」への 対応を行なうと見られる。「PC98仕様」には、一般用途向けのパソコンについて「ISA スロットはあっても構わないが、ISA拡張ボードを装着して出荷しないこと」という 定義がある。これにはPCI Busでプラグ&プレイをめざすマイクロソフトが、設定の面倒 なISA Busをなくそうとする背景がある。

NECは一時は国内市場の70%を超えるシェアを占めていたが1993年に50%を割り込み、 1996年には33%程度までシェアを落した。日本国内ではPC9800シリーズの独自路線で 来たが、Windows95の発売でPC9800は世界でも特異的なマシンになり、社内の営業からも AT互換機生産の要望や、16ビットアーキテクチャだったPC9800シリーズの限界が今回の 路線変更の背景にある。PC9800シリーズは累計で1700万台以上出荷されている。
NECの社内では「パッカードベル救済のための新型パソコン開発」という名目で NX開発プロジェクトが進んでいた。真の目的は一人の役員とプロジェクトの管理者以外 には知らされず、開発担当者自身にも自社のAT互換機の開発であることは知らされて いなかったという。

日経パソコンの12月1日号に「PC98ーNXのすべて」という20ページもの広告記事を出す などNECの意気込みは強かったが、1997年暮れの商戦でNXの売れ行は伸びなかった。 「PC97/98仕様」を全面に出しNXがAT互換機でないことを説明すればするほど売れなく なり、結局価格を下げて売らざるを得なかった。最終的に販売台数は富士通と近いもの になったが、利益は大きく差を付けられた。

NECは1998年1月30日に97年度のパソコン出荷台数の目標を下方修正した。 「NX」発表時には「下期目標は前年同期比19%増の215万台」としていたが、 10-12月期の国内出荷は76万5000台(前年同期比10%減)と伸び悩んだ。 このうちNXシリーズは54万5000台と70%を超えたが、家庭向けが年末商戦 で振るわず、企業向けも伸びなかった。 当初の年度目標の国内・海外を含めた出荷日標407万台(前年度比9%増)を 中間決算発表時に目標379万台(前年度比2%増)と修正し、さらに今回12% の下方修正で、97年度の出荷目標を334万台(前年度比10%減)とした。 国内向けは315万台で7%減となり、92年度以来5年ぶりに国内パソコン 出荷が前年度を下回る。個人消費の低迷に加え、昨年秋に市場投入した NXが不振だったのが要因の一つ。
パソコン事業売上高(国内・海外合計)は中間決算時予想の8700億円(前年 度比6%減)を7900億円(15%減)に下方修正した。
昨秋には年度見通しを下方修正。下期は新仕様パソコン「PC98−NXシリー ス」で巻き返しを狙っていた。

NXへの移行によりPC-9800シリーズは消え行く運命にある。周辺機器の市場も 徐々に小さくなり、その結果PC-9800用の周辺機器はAT互換機向けに比べ次第に 割り高になっていく。そして市場から姿を消す。C-Bus用の周辺機器は1998年 夏頃が最後になるか。

日経パソコン、日経新聞他


アトランタオリンピック電脳状況

アトランタ・オリンピックは参加197ヶ国から16,500人の選手が参加した。 開催地は約80ヶ所、報道関係者は15,000人にのぼる。
アトランタ・オリンピック組織委員会(ACOG)はスタッフ2,000人、ボランティア40,000人で構成される。 「ワールドワイド・インフォメーション・テクノロジー」のスポンサーとしてIBMがこの 大会を全般に渡り支援した。
公式Webサイトには、1億8700万件のアクセスがあった。

システム構成
3階層のクライアント・サーバシステム、3テラバイトのデータを管理する。
ペン入力のThinkPadで入力されたデータや計時装置からのデータを最上位レベルの S/390に蓄積し、各開催地に置かれたAS/400にデータをコピーする。
AS/400に接続されたLANのOS/2ワークステーション(ノート型PC、タブレット)を使い データを取り出す。

ハードウェア

S/390 4台 (2台)
AS/400 80台 (30台)
RS/6000 21台 (30台)
SP2 2台
PC 7,000台以上 (3000台)
電話 13,000台
8260 ATM Hub 60台
※括弧内は長野オリンピックの構成予定

ソフトウェア

データ管理 DB2ファミリー
データ処理支援 CICSトランザクション・モニタ
システム監視 Netview6000,system View
コア・アプリケーション
リザルト・システム(記録集計システム)
競技結果入力
競技結果集計
競技結果配布
TVグラフィック
スコアボード
通信社配信
INFO'96(情報検索システム)
コメンテーター・インフォメーション・システム(CIS)
インフォメーション・マネージメント
競技結果情報
過去の大会情報
バイオグラフィー情報
ニュース・気象情報
輸送情報
その他大会関連情報
ゲームズ・マネージメント
大会参加資格認証システム
医療報告システム
セカンダリー・アプリケーション
ゲームズ・マネージメント
ゲームズスタッフィング
出発・到着管理
宿泊・輸送管理
チケッティング
リソースブッキング
資材管理
イベントスケジューリング
建築設計支援
HQシステム
オフィスシステム
ワープロ・表計算・電子メール
事務処理システム
給与・人事・財務管理


アトランタオリンピックのシステム
大会参加資格認定システム
内外のオリンピック委員会関係者、ボランティア、選手、コーチ、競技の審判員、 報道関係者など15万人をオリンピック・ファミリーとして登録し、写真入りのIDを 発行した。
選手の国や経歴など背景情報も集め他のシステムにデータを提供した。

リザルト・システム(記録集計システム)
0.3秒以内にオリンピック競技の結果を配信するシステム。
収集されたデータをS/390にアップロードし、 さらにコメンテーター・インフォメーション・システム(CIS), info'96(情報検索システム),インターネットなどに送る。
ペン入力のThinkPadでの入力のほか、 球技などではプレイ、得点、反則などを転送しスコアボードや解説者向け画面に表示する。
水泳などでは、例えば、ジョージア工科大学のプールの各レーンにSwatchの計時装置を 組み込み、時間センサーで計時したタイムをリザルト・システムに転送し表示する。 競技結果データはS/390に蓄積され、SQLで各開催地のAS/400に複製する。

コメンテーター・インフォメーション・システム(CIS)
リザルト・システムの一部。
スポーツキャスターに進行中の競技の最新情報のほか、国の情報、写真、過去の記録の 統計、選手の経歴、以前の得点、世界記録、オリンピック記録、各国のメダル獲得者 などの情報が取り出せる。別の競技の様子をTVで見ることもできる。

info'96(情報検索システム)
すべての競技日程、場所、開始時間、会場別の気象状況、交通スケジュール、 文化プログラム、開催地の情報などの情報検索機能と、150、000人のオリンピック 関係者がメモや電子メールを交換できる、電子掲示板、電子メールのシステムの 2つの機能で構成されている。多国語でサポートされた。
リザルト・システムからの競技結果情報で更新される。
センターはAS/400 model320をミラーリングで使用、各開催地のAS/400 model30Sは ローカルとして接続され、60GBのデータ容量を持つ。
英語の入力情報は、センターのAS/400 model320に接続されたLAN上のPCの翻訳ソフト ウェアで、もう一つのオリンピック公式言語の仏語に翻訳し、センターのAS/400に 戻されたあとローカルのAS/400 model30Sに転送される。
info'96はS/390の電子メールシステムのフロントエンドとしても使われ、1,800台の タッチスクリーンのKIOSKで数百万単位の処理を行なった。

オリンピック公式WWW
史上初のオリンピック委員会のインターネット・WWW、 Offical 1996 Olympic Web Site- Home Page を開設した。
IBM PS/6000 SP2サーバーでサポートされている。 オリンピック開催から7月28日までに8,000万回のアクセスがあり、 13万枚、530万ドルの競技種目のチケット、12万5,000万ドルの公式商品を販売した。 58,000件の電子メール・メッセージがオリンピック選手に届けられた。
大会期間中のアクセス数は 1億8,800万件で、一日の平均アクセス数は1,111万件。 8月1日には、1,695万5274件のアクセスがあった。

事件追跡システム
ロータス・ノーツを使い、 事件や出来事など様々な事態にスタッフがどう対処すべきかの情報やガイドラインを 提供した。このシステムはジョージア州警察とジョージア州捜査局にもリンクされた。 各会場での出来事を無線や電話で受け取ると、オペレーターは専用のフォームに 情報を入力する。
事件や出来事は緊急度により優先順序がつけられ、優先順序が高いものを目立たせて 表示する。情報はノーツサーバに転送され、数分おきに各会場のサーバにコピーされる。 利用者は文字情報のほか絵やグラフ、ビデオ、音声で情報を確認できる。

その他のシステム

AS/400
データ・ウェアハウジング
資材管理
会計処理
RS/6000 SP2
地域気象予報システム
その他
スタッフ配置
予算管理
競技種目スケジュール管理
物資管理とロジスティクス
医療サービス
チケット販売
ユニフォーム管理

IBM東日本支社情報誌 1996 9月号 Vol.2


長野オリンピックのシステム概要

   長野オリンピック  1998年2月7日(土)から2月22日(日)
    開催都市             長野県長野市       (アトランタ)
    開催地               長野市
                         山ノ内町志賀高原
                         白馬村
                         野沢温泉村
                         軽井沢町
    参加予定国           約60ヶ国           (190ヶ国)
    参加予定選手・役員数  約3,000人          (15,000)
    予定競技             7競技,68種目       (26競技,271種目)
    スタッフ             約6万人            (15万人)
    使用WS数             約3,500台          (7,000台)
※括弧内はアトランタ・オリンピック
ハードウェア
S/390 2台
AS/400 30台
RS/6000 30台
PC 3000台

ソフトウェア

コア・アプリケーション
リザルト・システム(記録集計システム)
競技結果入力
競技結果集計
競技結果配布
TVグラフィック
スコアボード
通信社配信
INFO'98(情報検索システム)
コメンテーター・インフォメーション・システム(CIS)
インフォメーション・マネージメント
競技結果情報
過去の大会情報
バイオグラフィー情報
ニュース・気象情報
輸送情報
その他大会関連情報
ゲームズ・マネージメント
大会参加資格認証システム
医療報告システム
セカンダリー・アプリケーション
ゲームズ・マネージメント
ゲームズスタッフィング
出発・到着管理
宿泊・輸送管理
チケッティング
リソースブッキング
資材管理
イベントスケジューリング
建築設計支援
HQシステム
オフィスシステム
ワープロ・表計算・電子メール
事務処理システム
給与・人事・財務管理
基本構成はアトランタ・オリンピックと同じ。アトランタ・オリンピックの システムに、冬季オリンピック大会用のアプリケーションを追加し、夏冬共通の システムにする。このシステムは更にシドニー以降の大会に引き継がれる。
IBMは1993年12月国際オリンピック委員会(IOC)から指名を受け、1994年の リレハンメル、1996年のアトランタ、1998年の長野、2000年のシドニー、さらに オプションとして2002年のソルトレイクシティー大会まで、 「Worldwide Infomation Technology」のスポンサーとして担当が決まっている。
公式Webサイトには、6億6430万件、選手応援メールのWebサイトにも25万件以上の アクセスがあった。
2月17日のラージヒル団体戦で日本が金メダルを獲得した競技中には、1分あたり9万8226 ヒットという世界記録がでたが、3日後の女子フィギアスケート決勝とアイススケート準決勝 が行われた2月20日の21時には1分あたり10万3429件のヒットがあり世界記録を塗り変えた。

合計ヒット数 6億4630万件 期間:2月7日〜2月22日
1分当たりの最多ヒット数 10万3429ヒット/分 2月20日21時
1日当たりの最多ヒット数 5680万ヒット 2月13日

情報システム
S/390 2台
AS/400 5台
RS/6000 18台
PC 5000台以上
Printer 1300台以上
情報処理量 4.5テラバイト
現場支援 17カ国,800人以上

長野オリンピック
選手および役員 約3000人
ボランティア 約3万6千人
ニュースメディア 約8000人
観客動員数 143万人
テレビ視聴者 30億人以上

後日談
日本IBMがサポートした長野オリンピックの運営システムは大成功だったので1999年秋に日本IBMの北城社長はIBMアジア・パシフィックの社長になった。北城さんがIBM APの社長になれば2000年9月のシドニーオリンピックのシステム構築に日本IBMのスタッフを使えるという読みのようである。長野オリンピックのシステムを立ち上げた柴田取締役はシドニーに遊びにいけると喜んでいる。


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